プーチン・ゼレンスキーの統御
  | 榊原吉典の視点 第3回

ロシア・ウクライナのリーダーの統御を分析し日本国への提言をする。
田母神セブン 2023.02.06
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軍事的に部隊を統率する際は「統御」という力が必要になり、その力は指導者によって様々です。

「田母神セブン」メンバーで田母神俊雄の元部下、榊原吉典によるコーナー「榊原吉典の視点」の第三回として未だ混沌を続ける「ロシア・ウクライナ戦争」における二人の指導者の「統御について」お送りします。

1.専守防衛という詭弁

2.ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンの統御

3.ウォロディミル・オレクサンドロヴィチ・ゼレンスキーの統御

4.指揮官陣頭

5.カリスマ性を補う、確固たる目的

6.外交ドクトリン・国民の意思

『反撃能力が無くては国益を損なう 後編』は、ご覧になられましたか。ここで紹介されているタモさん先輩の統合幕僚学校長時代の逸話は、私は現役時代にタモさん先輩から直接お聞きして、とても胸のすく思いがしたものです。普段は「あれでいいんだ」「それでいいんだ」という悠々とした態度で部下に接しているタモさん先輩ですが、不遜・傲慢な相手(『後編』においては、範長龍陸軍中将)には機を失せずカウンターパンチを浴びせます。こんなところも部下を魅了する一面ですが、タモさん先輩だからこそできる高等戦術です。相手の攻撃を受けて、後の先を取ることは、武道や個人競技では甚だ難しいことであり、少しでも対応を誤ったり、タイミングが遅れたりした場合、自らが致命的なダメージを受ける危険性をはらんでいます。これが軍事衝突であった場合、戦術レベルのミスや遅れでは小部隊の壊滅であり、戦略レベルであれば国家中枢の喪失や多数国民の死傷などを被る恐れがあります。「敵の攻撃を受けてから初めて武力行使する」ということをリアルに想像してみてください。相手国の攻撃を受けた時点で既に我が国は損害を被っており、その損害は反撃不能なレベルであることも現代戦では充分にありえることなのです。「専守防衛」には軍事的合理性はないのです。国民の生命や国家の存続を危険にさらしてまでも「専守防衛」を信奉すべきなのでしょうか。ドグマに陥っていませんか。

さて、本題に戻りましょう。前回は統御とは何か、また、統御は特に戦闘状況下において特に重要であると述べました。そこで、今回は現に戦闘状況下にある、二人のリーダーの統御について考えてみたいと思います。

プーチン大統領は部下を統御できているのか

プーチンはヒーロー?

戦闘(戦争)でこそ、リーダーによる統御は必要と述べました。では、今まさに戦争を指揮しているリーダーであるプーチン大統領は、部下を統御できているのでしょうか。

皆さんご存知のとおり、プーチンは、KGBの諜報員から大統領まで上りつめた男です。その経歴もさることながら、大統領1期目のロシア経済的回復は、プーチンがロシア国民から支持を盤石とする一因でしょう。このような成功を収めたリーダーはカリスマ性を有しており、部下に心を砕いて接すれば、部下を見事に統御できると思います。実際にプーチンが長期にわたってトップであり続けられるのは、メドベージェフ前大統領を始めとする部下たちを統御するだけでなく、ロシア国民の心まで掴んでいたと思われます。プーチンは、部下たちからカリスマ的なリーダーとなっていただけでなく、国民からはヒーローやアイドルのような存在だったことでしょう。

プーチンは裸の王様?恐ろしい絶対神なのか

では、今もそうでしょうか?

 歴史が物語るところ、ナポレオンを始めとする多くの成功者は成功するまでは立派ですが、その後は成功体験に埋没してしまって、自己を過信して次の状況への対応に誤る。このことは、数々の戦訓から読み取れます。成功体験や頂点に立つことによって変わってしまう、人間心理の弱点は「裸の王様」の寓話においても面白おかしく語られています。一方で、部下も変わってしまうでしょう。成功を続けた、カリスマ的リーダーは絶対神が如く崇められて、部下たちからは尊敬されるというより、畏れの念を抱かれる存在となることになるでしょう。部下から畏れられているようでは、リーダーが部下を統御できるような関係は成り立ちません。部下たちは委縮してしまって、部下のやる気や創造性は発揮されず、組織的な活動は低調となります。

 ウクライナ侵攻前の状況を想像してみますと、正確な情報が部下からプーチンに報告されなかったため、プーチンは安易に「侵攻は短期間で成功する」と判断を誤ったとも考えられます。なぜ、正確な情報が報告されないのでしょうか。余りにも神格化されたリーダーには部下は畏れを抱いているため、リーダーが不快となる情報の報告に尻込みするからです。気軽に冗談を言えるどころではありません。このため、彼の叱責を受けないように、真実を隠す、若しくはニュアンスを変えて報告するという、リーダーの機嫌を損なわないことに主眼が置かれた報告となるでしょう。結果として、リーダーは真の状況に合致しない不適な判断を下すこととなります。この結果、リーダーは、自分に問題の原因があるにもかかわらず、部下の能力を見下したり、疑うことにもなるでしょう。神のようなリーダーは自分自身を完璧と過信しており自己の失敗は認めませんので、リーダーが間違った判断を下す原因となった、リーダーに忖度した部下が失敗の責任を負わされることとなります。更に部下側からも、リーダーと自分以外の誰かに失敗の責任を押し付けて、自分の立場とリーダーの面目を守ろうとします。無責任なリーダーは、決心や実施段階におけるあらゆる失敗を認めず、失敗の責任を部下に押し付けます。ウクライナ侵攻開始から最近までに、プーチンは部下指揮官であるウクライナ侵攻作戦の司令官を何度も交代させていますよね。これは、自らの非は決して認めないのか、自己を過信しているのか、若しくは、部下に失敗の責任を負わせて自らの立場を守るためなのか、いずれにせよ、このような状況では部下を統御することはできないでしょう。あれでいいんだ同好会会長のタモさん先輩は「上司の仕事は部下の仕事の責任を取ること」と言われ、自らが部下の失敗の責任を被ることはあっても、保身や面子のために部下を責めることはありませんでした。

統御には上下の心的関係が不可欠

 かつてのプーチンは尊敬され、憧れの存在だったかもしれませんが、今のプーチンは部下にとって恐怖の存在となっているように見えます。リーダーを畏れているような関係では部下は委縮してしまっているので、統御は成り立たちません。部下の自主性や工夫が引き出されることはなく、個々の力の発揮は制限され、チーム全体としてのパフォーマンスは大いに低下します。「あれでいいんだ同好会」での会員たちは生き生きとして、リーダーの喜ぶことに貢献しようと自主的に行動しますが、プーチンの部下たちは消極的であり、リーダーに怒られないようにすることに精力を使い果たしてしまいます。その結果、プーチンの部下たちはリーダーが納得する成果には及ばず、また叱られてしまい、更に委縮して一層のパフォーマンス低下を招くという負のスパイラルに陥ります。リーダーによる統御は、上下どちらかからの一方向の思いだけでは成り立ちません。上司が部下を信頼するとともに委任する度量・胆力を持ち、部下からは上司へカリスマ的な魅力を感じて尊敬するという、双方向の心の繋がりが不可欠です。また、その心の中に、疑いや恐怖があっても成り立ちません。

ゼレンスキー大統領は部下を統御できているのか

ゼレンスキーは人気者だったがダメなリーダー?

 ゼレンスキー大統領は、かつてはコメディアンであり、一教師が大統領になるという政治風刺ドラマの主人公を経て、現実に大統領になったという経歴を持っています。このような背景から、大統領就任時の支持率は高いものでした。支持率は高いというものの、部下を統御していたかについては別です。むしろ、官僚や軍人は、ゼレンスキーの経歴や資質をバカにして、彼の下では統御されてはいなかったのではないでしょうか。実際に、ゼレンスキーの支持率は、大統領就任後右肩下がりに下がり続けます。これは、ゼレンスキーから直に統御を受ける部下(ウクライナ国家では高レベルのリーダー)たちは、彼に統御されておらず、ウクライナ国家としての組織的活動は上手くいっていなかったことが原因ではないでしょうか。直接の部下たちを上手く統御できていれば、それぞれの部下たちが自ら所掌する国家機関を上手く指揮します。すると各機関の働きもよくなり、その恩恵を国民が実感できることで、国民からの評価も高まることでしょう。しかしそうとはならず、ゼレンスキーは部下を統御できておらず、国民からの支持も得られなかったのが現実です。この状況を見たプーチンは、ウクライナ侵攻は簡単に成功すると判断したと考えられます。

シン・ゼレンスキー出現?

 ゼレンスキーの支持率は、2021年10月には支持率は25%まで後退したと言われます。ゼレンスキーがダメなリーダーだったことも、プーチンにウクライナ侵攻を決心させたと前述しましたが、皮肉にもプーチンによる侵攻が、ゼレンスキーを劇的に変えました。立場(状況)が人を変えるとは、よく言われますが、彼は、シン・ゼレンスキーに化けたのです。

 ロシアの侵攻直後、シン・ゼレンスキーは「我々はここにいる。この国を守る」と述べ、あくまで首都にとどまり、ロシア軍と戦い続けると強調しました。この行為により、彼の支持率は9割近くまで上昇しました。同時に、リーダーの表情や心情を直接的に見て感じ取ることができる、ゼレンスキー直属の部下たちも、平時では現れなかったゼレンスキーの資質を改めて評価するとともに、逆境下におけるリーダーの態度に素直に感服したのかもしれません。このゼレンスキーの態度は、指揮の原則である「指揮官陣頭」を思い起こさせます。「指揮官陣頭」とは、指揮官(リーダー)が陣頭(部下の現前、戦闘部隊の先頭)で指揮すると、苦しい状況であっても、部下はリーダーの自信に満ちた顔を見て安心するとともに、危険な時間と場所にリーダーが共にいることを部下は意気に感じて能力を最大限に発揮するという原則事項です。織田信長を始めとする戦国武将たちや、日本帝国陸海軍で部下を統御していた指揮官たちは、この原則を熟知していたようで、天王山となる重要な決戦や、部下が苦戦しているときには、危険を顧みず前線にて陣頭指揮して(指揮官陣頭を実践して)部隊の勝利に導いています。指揮官陣頭は危険ですが、大きな影響力を発揮します。

ゼレンスキーの統御ツール

 大きく化けたゼレンスキーは、キーウに留まって部下たちを指揮しています。ロシアによる侵攻直後から、ビデオ演説やSNSを駆使して、効果的なメッセージにより、そのゆるぎない決意を発信し続けています。高位のリーダーの声や意図等が直に末端まで届くということは、今までの戦争では考えられませんでした。上位のリーダーは、下位である中間リーダーを通じて、前線の兵士を指揮・統御しますが、ゼレンスキーは遠くにいる前線の部下にも直に心的影響を与えています。ウクライナ軍の抵抗力やロシアに侵攻された地域を奪還している状況を観ますと、国家の最高位のリーダーであるゼレンスキーの統御の効果は、前線の兵士にまでしっかり影響を与えるようです。戦いにおいて上位の指揮官は、指揮官陣頭するなど、様々な工夫を凝らして前線の兵士を激励して士気を鼓舞しようと試みますが、前線はとても危険です。山本五十六連合艦隊司令長官も将兵の士気の高揚のため、前線に趣いたところを敵に察知されて撃墜されましたが、ゼレンスキーは、山本長官ほどの危険を冒すことなく、前線の兵士に至る

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続きは、1198文字あります。
  • 長期的な国益を見据えた外交ドクトリン、そして平和を守る意志

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