夏休み特別企画|田母神から学生諸君へ04|終戦の日を迎えるにあたって
今日は、日本が戦った大東亜戦争、これを世界がどう評価をしているかということで、当時の世界の声を皆さんにお届けしたいとい思います。戦争が終わって78年経ちましたけれども、日本では現在、「日本はやらなくてもいい戦争やって、非常に好戦的でアジア諸国に侵略をして、アジアの人たちにたくさんの迷惑をかけた。」というようなことが学校で教えられていますけれども、私はさまざまな資料をもとに真実ではないと考えています。戦争は勝った国が負けた国に対して歴史を強制するという結果を生むわけです。歴史は誰が作るかというと、「戦勝国」が作ります。
戦争に負けた日本は戦争に勝ったアメリカの歴史観を戦後強制されたわけです。ですから、このアメリカから強制された歴史観から、我々は抜け出さなければなりません。どこの国も「正義」があるわけです。戦争は「正義と正義のぶつかり合い」です。そういう中で、私は日本の国が大好きですからその私見を極力除いて、第三者的に見たとしても、日本はそんなに残虐な国ではなかったし、おかしな国ではなかったというふうに思っています。
今回は皆さんにも世界の指導者や知識人の言葉を紹介しますので、いくつかの言葉から、それを理解してほしいという風に思っています。
それでは紹介をします。まずはアーノルド・J・トインビーというイギリスの歴史学者です。彼は何を言っているかとい
出典:Wikipedia Arnold Joseph Toynbee
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)
アーノルド・J・トインビーは、日本軍の出現でアジア・アフリカの人々は西洋人には敵わない、絶対に逆らえないという幻想を拭い去れたのだと言っています。
アメリカに目を移すとですね、アメリカではジョイス・C・レプラというコロラド大学歴史学部の女性教授、ちなみにこの人はアメリカで初めて博士号を取得した人でもあります。彼女が次のように言っています。
出典:dailycamera Joyce.C.Lebra
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」 (「東南アジアの解放と日本の遺産」)
日本軍の躍進は、アジア・アフリカ各地に独立の心を芽生えさせ、その芽生えた独立心は西洋諸国が抑えられないほど大きなものになって行ったと分析している訳です。
次にオランダのエドゥアルド・ヴァン・ティン元アムステルダム市長、この人は後にオランダの内務大臣になった人ですが、1985年に日本を訪問しました。そのときに次のように言っています。
出典:Wikipedia Eduard van Thijn
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇りを取り戻すべきであります。」 (1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティーの歓迎挨拶)
という風に、エドゥアルド・ヴァン・ティン元アムステルダム市長が言っております。
1985年のメッセージですが残念ながら、我々は現在も誇りを取り戻しているとは言えないのではないでしょうか?さらにこれは日本でも有名ですけども、タイの元首相でククリット・プラモードという人が、次のように言っております。