統御の観点から田母神俊雄を分析する | 榊原吉典の視点
軍事的に部隊を統率する際は「統御」という力が必要になり、その力は指導者によって様々です。
今回は時の指導者の「統御力」を分析することで、その人の持つ軍事的なリーダーシップを推し量るということにチャレンジしてみたいと思います。
過去の事例をもとに統御とはそもそもなにか?を含めご説明しながら分析したいと思います。
「田母神セブン」メンバーの一員である田母神俊雄の元部下「榊原吉典」によるコーナー「榊原吉典の視点」の第一回としてお送りします。
田母神セブンの一人、榊原吉典と申します。田母神俊雄の防衛大学校(防大)の後輩であり、航空自衛隊(空自)では田母神俊雄の部下でもあったこと、制服を脱いだ等については榊原が大先輩に先んじたということもあり、田母神セブンの一人とさせていただけました。よろしくお願いいたします。
今回は「タモさん先輩と統御」についてご紹介したいと思います。
本題に入る前に、「タモさん」との表現ですが、田母神俊雄は空自現役の時、部下や後輩に「俺のことは、タモちゃんと呼べ!」と、全く偉ぶらない気さくな態度で部下たちに接していました。こんな態度も、田母神俊雄を慕う者が多い理由です。防大15期の田母神俊雄は、32期の榊原に対しても同様なのですが、さすがに榊原から「タモちゃん」とは呼びかけられず、「田母神先輩」と言っていたのを「タモさん」に変更して今に至っております。ただ、今回は、統御について扱う為、かような経緯と敬意をもって「タモさん先輩」と表現させていただくこととします。
1. 統御の定義と重要性
2. 項羽と劉邦に見る統御
3. 陸の大山、海の東郷に見る統御
4. 田母神俊雄の統御力
一般的に「統御」とは?
『デジタル大辞泉』によれば、「全体をまとめて支配すること。思いどおりに扱うこと。」であり、『ウィキペディア(Wikipedia)』では(自衛隊OBが編集に携わったのか)「部隊を統率するにあたって心的作用により部隊の心的な要素を強化することによって非合理的・精神的な面で任務遂行を指導することをいう。」と説明されています。
統御は指揮の一構成要素
「指揮」については、「指揮の本誌は、部下の指揮を振作し、一致団結、至誠をもってその任務を完遂させるにある。指揮官は、指揮の中枢であり、また、部隊団結の核心である。」と空自の教程に書かれていたと思います。そして、「指揮(広義)」は、「指揮(狭義)」と「統御」と「管理」から成り立ち、中でも「統御」が重要との教育を受けました。
出典:陸上自衛隊HP
なぜ「統御」が重要なのか?
機械は、ボタンやコントローラ操作による入力信号(命令・指示等)によって、決まった出力(表示・動作等)を提供しますが、心を有する人間では、そうとは限りません。ひとつの命令・指示をある人にしたとき、その者の心的状況によって、同じ人であっても受け取り方が異なるし、起こす行動も異なることでしょう。人間の集団では、リーダーと構成員の人間関係や命令等の伝え方によって、伝わり方と結果は大きく変わります。
集団の構成員から好かれ信頼されているリーダーの下では、構成員が団結しており、リーダーの意図を正確に理解して、良い結果が出やすいことは、多くの方が経験し同意されることではないでしょうか。このような集団とは、リーダーの統御が行き届いている組織といえます。リーダーは、部下と良い人間関係を構築しているでしょうし、命令等の伝え方にも心を砕いているはずです。団体スポーツでも企業活動でも共通する、この原則事項は、任務を完遂するために生命の危険を顧みさせないことを強要する自衛隊では特に重要となります。
人類の歴史では、団体スポーツのゲームや会社という組織による企業活動は最近のことですが、人類史上、人間による組織的活動の多くの場合は戦闘でした。生命を賭しての活動である戦闘でこそ、統御は必要でした。
項羽と劉邦に見る統御
紀元前206年、秦の始皇帝の圧政を終焉に導いたのは、項羽と劉邦の働きです。
項羽と劉邦が1対1で戦ったら、多分、項羽に軍配が上がったでしょう。しかし、実際には秦末の動乱を制したのは劉邦でした。劉邦は、部下たちが共感できるビジョンを持ち、部下たちの気持ちを察することのできるリーダーでした。また、部下たちからも愛される性格であり、カリスマ性を有していたと想像できます。上下の隔たりなく冗談を言い合っていた姿も思い浮かべてしまいます。
項羽の部下たちは、リーダーの優れた知力・武力を畏れ敬っていたでしょうが、自ら進んで指揮に従ったのでしょうか?一方、劉邦の部下たちは、宴席では気さくなリーダーに冗談も言ったでしょうが、いざという時には部下同士が団結するとともに、リーダーのために命を投げ出すことも惜しまなかったことでしょう。項羽は部下たちを指揮(狭義)していましたが、劉邦は部下たちを指揮(狭義)するだけでなく統御もしていたのです。結果的に、劉邦は項羽軍を打ち負かせることができたことは歴史が物語っています。
陸の大山、海の東郷に見る統御
日清・日露戦争において日本の勝利に大きな貢献をされた方々の統御を見てみます。陸軍の大山巌 満州軍総司令官には、苦戦の中で総司令部が殺気立っていたとき「今日もどこかで戦がごわすか」の一言で参謀たちが冷静さを取り戻したという有名な逸話があります。また、海軍の東郷平八郎 連合艦隊司令長官は、常人では決心し難いハイリスク・ハイリターンな敵前回頭戦法を採用して、敵艦隊を一方的に破りました。両雄ともに、戦場における不利や不明等に動揺することなく泰然とブレない指揮を続け、部下を絶対的に信頼するとともに勝利への強い信念を持って、武田信玄のように山の如く不動でした。このようなリーダーの信念は、近くにいるスタッフや下位リーダーを通じて組織全体に伝播し、個々の構成員の力を十二分に発揮させ、それらの力のベクトルを同方向に向かわせることが可能となります。戦場という、肉体的にも精神的にも極限状態においては、狭義の指揮では部下たちを勝利に導けないということは、多くの戦訓が示しています。また、このような指揮により勝利を繰り返していくと、そのリーダーは部下からカリスマ的な存在となり、より強力な統御が可能となります。
「タモさん先輩」の統御
「タモさん先輩」は、航空部隊の戦術レベル、作戦レベル、戦略レベルの各職位において、どこの基地でも部下たちと楽しく談笑できる間柄を築いていました。それだけでなく、前例を踏襲しない、本質を突いた、大胆な決心と行動により、周りを驚かせたりもしました。航空幕僚長になっても同様でしたので、防衛省のある市ヶ谷では制服組に人気があるだけでなく、背広組からも慕われていました(このことも田母神論文問題の遠因とも考えられます)。優れた知見を有した上司が、全く偉ぶらずに、気さくに冗談を言って接してもらえると、自然とその方に魅かれます。更に、正論を貫くためにはタブーも気にしない、リーダーの幅広い知見と深い洞察に基づいたブレない判断や決心は、部下たちから心酔されます。このような状況が、市ヶ谷地区庁舎A棟に広がっていました。